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今年もよろしくお願いします。
スマートフォンってのは、「iPhoneやAndroidみたいなもの」みたいな無茶な定義じゃなくて、妥当に定義する限りはNokia CommunicatorやWindows Mobileなどのように、iPhone/Androidの前から存在したものでした。自分自身でもWindows MobileやSymbianの端末使っていました。
半年ぐらい前にiPhoneやAndroidが、それまでのスマートフォンとどう違うのかについて考えたのを、弾さんの記事を読んで思い出しました。弾さんはその違いを「インターネットの終端であるか否か」「使い放題か否か」で説明していました。なるほど。Windows Mobileもそれなりにその条件を満たしていたのですが、後者の「使い放題」を満たせていなかったのでしょうか。選択できる料金プラン的には満たしていたのですが、文化としてそうなってはいなかったという意味で。
私自身は当時の結論として、「携帯キャリアに遠慮せず大量のデータ通信をするか否か」を違いとして挙げました。
自分でコード書けて「遊べる」かどうかを重視していた私は、iPhoneの発表を見た当時はそれなりに熱く語りつつも「でもJavaScriptだけじゃね…」と思い、Androidの概要を知ってからも「でもJavaなんでしょ? iモードと基本同じじゃないの?」と思ったものです。あんまり変わってないなと。
しかし実際にiPod touchを触ってみて衝撃を受けました。やっぱ何でも自分で触ってみないとだめですね。「なに、このデータ通信の激しさ。パソコン並じゃん」と。Windows MobileやSymbianのアプリがいかにデータ通信を使わないように努力しているか、無駄なデータ通信を省くアプリの人気があるか、Blackberryがいかにデータを圧縮して通信料を減らすことを自慢しているか。携帯電話のデータ通信ってのはコストが高いのでそういう努力が必要だと思わされてきました。それに対してiPhone(いや、その時触ったのはiPod touchですが)のこの遠慮のなさってどうなの? *1
この経験で、iPhoneがそれまでのスマートフォンとは違うものだという明確な認識を持てたんじゃないでしょうか、今になって思うと。量の差が質の差に繋がると。その辺りが冒頭で触れた弾さんの記事での「使い放題か否か」なのでしょうか。
「こんなデータ通信して大丈夫? 基地局耐えられる? 電波足りる? 日本に来たときにホントに定額料金で使わせてもらえる?」って不安になったものです。同時に、「キャリアには企画できんし、キャリアとのしがらみのあるメーカにもこれは作れんな」とも感服したものです。Appleの付け入る隙がそこにあったのかなと。更にAndroidが駄目押しして「あれはiPhoneだけだから」と言えなくなったという感じなのかなと。
*1 思えば、というか、日記読み返して、この2007年って年は、iPhoneやAndroidの発表及び、パソコンでがんがん通信しても文句言わないemobileのサービス開始で、夢溢れる年だったですね。